サツマイモの昔むかし3

サツマイモの昔むかし3

富のいも評判記(1818年)

「ささやかなる家の有に立入り、甘藷のむしたる有りしをととのえ、茶うちのみて息う。老女と童のみ居たり、いもの味よろしけれぱ、これはこの辺りにて作るにやといへぱ、いかにも富と申所にて作り候。富のいもとて専ら賞翫いたし候と云」。
これは、文化一五年(1818)独笑庵立義という江戸の風流歌人が書いた『川越松山巡覧図誌』という紀行文の一節。この話は、川越、東松山の岩殿観音までの旅の帰路の神谷新田(川越市)での話です。富とは、三富すなわち三芳町上富、所沢市中富、下富のこと。「富とは柳沢吉保侯が開拓をした所か、多福寺がある所か」と次に尋ねていることから間違いありません。
三芳付近のサツマイモは、伝来して約半世紀が遇ぎたころには、「富のいも」として名産品となっていたことが、この紀行文からもよくわかります。ちなみに「川越いも」という名が広まるのは、天保期(一八三○~一八四四)のこと。元祖「川越いも」といえば、「富のいも」であったようです。
世に名を馳せる「富のいも」を作り上げた私たちの祖先の努力は並大抵のことではなかったに違いありません。

サツマイモ昔むかし1~6については
発行/三芳町(広報みよしNO.484参照)